山は誰のものか? 序章

入笠山の山小屋、マナスル山荘本館の山口です。

タイトルの『山は誰のものか?』。これは山の所有者や利権者を明確にするということではなく、さらに卵が先か?鶏が先か?的な議論を交わすことではなく、私のこれまでに関わった山についての想いや考えを不定期に何回かに分けて綴っていこうと名付けたタイトルです。

序章ということで、山に登り始めたころのお話を。

私が登山を始めたのは高校1年の夏。高校ワンゲル部の夏合宿が終わった9月に柔道部からワンゲル部に転入してからの40年以上にわたる登山に関わる人生でした、そして現在もその途中でもあります。

中学生時代は、入学時に親に買ってもらったブリジストン・ロードマンで週末ごとにあちこち出かけてました。いわゆるツーリングですね。「サイクル野郎」という漫画も当時流行っていました。その影響もあったと思います。ニッピンで一番安かったツェルトのようなテントと、毛布をもって往復100〜200㎞くらいの場所へ泊りがけで。橋の下でもよく泊まりましたが、先住者がいることも多く時々追い出されました。このころは自転車さえあれば自分の足で、どこでも行きたいところへ行けると信じていましたから。遠出しすぎて、警察のお世話になったこともありました。

中学生のころに「アントニオ猪木」にあこがれ、格闘家を目指していた時期がありました。このころの愛読書は「1・2の三四郎」。高校入学後の部活選びは、将来はプロレスの道へと考えて、格闘技の基礎を学ぼうと柔道部へ。入部してからしばらくは柔道部の練習に明け暮れましたが、中学生から好きで続けていた自転車ツーリングで夏休みを満喫しようと計画を立てていたところ、柔道部の夏合宿と夏休みの練習でほぼ夏休みが無くなってしまうことが発覚。格闘家はさっさと諦め、自転車競技部はありましたが、自分の足で放浪という意味でワンダーフォーゲル部へ転部したという訳です。

高校ワンゲル時代は毎週丹沢や奥多摩の山に出かけました。このエリアの登山道をほとんど高校時代に登りつくしています。表丹沢の沢もすべて登りました。ギアも高価で買えませんから、ノーロープで滝に取りついたりと、いま考えると結構な無茶をしてきました。将来は北アルプスの岩と雪を目指すために、その訓練と思ってがむしゃらに登っていた時代です。山の本を精読したのもこのころ。新田次郎の小説、本田勝一の山シリーズ、山岳同志会のヒマラヤの遠征記、登山の技術書、古典からエッセイまであらゆるジャンルの山の本に手を付けました。

大学入学時には海外の山に登りたいと漠然と考えていましたが、夏休みのアルバイトに選んだのは北アルプスの山小屋。交通費も出してくれて、ご飯が食べられて、北アルプスの山にずっと入っていられるのが理由で選んだ山小屋バイト。最初に選んだ山小屋は『針ノ木小屋』。マイナーで、収容も少なく、不便な山小屋という選択で応募しました。当時はここから長く山小屋にかかわるなんてことは知る由もありませんでした。

その後は信州山案内人の資格を取り、山のガイドも始めました。北アルプス夏山常駐隊員や民間救助隊員も経験してきました。山小屋も『三俣山荘』や『槍ヶ岳山荘』の支配人を務めました。キッチン槍を作ったのも、槍で焼き立てパンの販売を始めたのも私です。登山よりも山小屋経営の方にすっかり興味は移っていました。

何事も飽きやすい性格の私にとって、登山はいまも継続できている唯一の領域ということができます。山小屋従業員として、民間山岳救助隊員として、山岳ガイドとして、山の道具のショップ店員として、山小屋経営者として、登山者と向き合う方の立場で長く山に関わってきました。が、最近ちょっと山の世界も息苦しさも感じております。SNSの発言・発信に何か違和感を感じることも多くなりました。ここ数年、山荘で登山者を観察しても、他の山に出かけても、他人に気遣いのない登山者を多く目にするようになったとも感じております。

現在マナスル山荘本館の経営を始めて9年目、念願の山小屋経営にいまも奮闘しております。登山者として登れなかった山はたくさんありますが、山小屋経営者として山に長くかかわれたことの方が私の人生において値打ちのあることでした。今後も山小屋経営者として山にかかわることが私の立場だと自任しております。

そんな立場で山にかかわることを、自分の経験や体験からいろいろ綴ってみたいと思います。

どうぞお楽しみに。

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